鬼の背中
うね七つ谷は九つ是やこの 鬼の住みてう あららぎの里
本書は主に広島県の古い神楽文書を読み、中世から近世の驚くような神楽のあり方(まさか神楽で死者供養をしていた時代があったなんて!)を提示した問題の書である。そんな本書の冒頭をかざったのは天正十六年広島県壬生井上家蔵の「荒平舞詞」。現存最古の神楽詞章であり、「荒平(あらひら)」と名乗る中世独特の鬼のキャラクターはまさに神楽研究のミサキにふさわしい。この詞章を読むことで、一昨年から見学を続けている神楽やおくないの実体に、私なりに近づけた感がある。今回は荒平を先達に、しばしの回想にお付き合い願いたい。
一、荒平舞詞から花祭りの鬼へ
中国山地の神楽には「荒平」と名乗る鬼が登場する長大な神楽詞章があることは先に述べたが、現在荒平を執り行う地域は皆無と言って良い。長大な語りは省略され、記紀神話的な内容に改変されてしまい、天正年間に筆録された荒平の姿はほぼ残っていないのだ。しかし詞章をひとたび読めば、その豊かさに驚くはずである。ここでは荒平の長大な詞章の中から、①芝佐探し②外道の理由の二つの場面をメインに紹介したい。
① 柴佐探し
荒平の物語は、荒平役と荒平に問いかける役(せく方、太夫などと呼ぶ)の二人が掛け合いで進めてゆく。例えば旧安佐郡では、太夫が問いかけるごとに荒平の背に剣をあて、それによってはじめて荒平が語り始める、という所作がある。詞章のなかで、問いかけ役は荒平の姿をみて次のように言う。
さって荒平を鹿(しし)かと見れど鹿(しし)でもなし
青黄赤白黒 五畜五行の色にもあらず
又 動けど人にも似ず…
なんとも異様な姿だが、そんな荒平が神楽場を訪れたのには理由があった。
荒平は「山の大王」から日本の十二の山を賜り、
「仰(あお)のきたるもの俯(うつぶ)くべからず、俯(うつぶ)きたるもの仰(あお)のくべからず」
と大得意で山々を支配していた。
ところがふとまどろんだ隙に、何者かに大事な「柴佐(しばさ)」を盗み取られてしまう。
天竺のあらゆる国を探しても見つからなかったが、日本へ来て見ると神楽歌が聞こえてくる。もしやここが「我が神室では」と思い神楽の場に姿をみせたのだ。
② 外道の理由
祭場に現れた荒平は、自らの由来を語りだす。ここで荒平が天竺出生で兄弟四人の末の子であることを知るのだが、驚くべきことに荒平は「四万六千人の鬼の大将」であり「御仏の前にて荒神となり、神の前にて御前(みさき)となる、有漏の凡夫の外道と成る」と言うではないか。天竺出生の荒平がなぜ外道となってしまったのだろうか。
釈尊は太郎の嫡なりとて八万諸経をたもつ
我は弟子の末なりとて六万法をたもつ
今二万法教ゑいと云いしが終に教ゑ給はず御ざんへり…
荒平が外道となった理由は末子を理由に仏法を授けてもらえないことにあった。末子であることを理由に兄よりも少ない数の法を伝授された荒平は、葱嶺の山にて大鬼となり、人を餌食にして「頭をとり集めて数珠につなるき念仏申」すのだという。
兄より格下に扱われた屈辱を思えば同情も沸くだろう。
この後の展開はぜひ原文を読んで頂きたいが、実は荒平詞章の発見された広島県を遠くはなれて、三信遠の花祭りがこの荒平と共通点を持っているのだ。お気付きの方もいるだろう、荒平と重なるのは花祭りのヒーロー、榊鬼(さかきおに)だ。
榊鬼は花祭りのメインの一つである。顔の三倍はありそうな大きな鬼の面をつけ、巨大な鉞を持って祭場にあらわれると舞処(まいど)はたちどころに沸き返る。榊鬼の次第は、荒平同様に鬼役と問いかけ役(もどき)の二人が問答をし、鬼ともどきの滑稽なやり取りが見ものだが、問答の発端は荒平と同じく榊であった。
榊鬼:此榊と申するは 山の神は三千宮
一本は千本 千本は万本
七枝二十枝までも惜みきしませ給うこの榊
誰が御許にてこれまで刈り迎へ取ったるぞ
もどき:伊勢天照皇太神宮熊野権現富士浅間
所は当所氏御神の神の稚児を舞ひ遊ばす
千代の御為に是迄刈り迎へ取った
まことの信行の為なら引かれる
信行の為でなくば引かれまい
榊を引いて帰れ
荒平同様、榊鬼は盗み取られた榊を探しにやってきたのだ。荒平詞章では柴の行方は語られないが、花祭りでは「神の稚児を舞ひ遊ばす」ため、つまり神楽のために刈り取ったのだと主張し、「榊引き」の勝負に発展する。勝つのはもちろん神楽を行うもどき側だ。
もうひとつ荒平と重なるのは、背中を叩く所作である。花祭りでも、太夫が榊で背中を叩いてから鬼が語り出す。この所作について花祭りを見学した折口信夫は、「鬼―神―と問答をするのには、人間の語では訣らないから、通弁役が必要なのです。手草を持つのは、即、神の詞を解する事の出来る神人のしるし」であると着目している。
二、忌まれる鬼たち
さて榊鬼は花祭りのヒーローと先に言ったが、鬼が「忌み嫌われる存在」としてみられている場合もある。
日本は愚かなる風俗ありて、
歯の生えたる子を生みて、鬼の子と謂いて殺しぬ
なぜこのような風習が生まれたのであろうか。柳田は鬼子殺しの話が流布したのは江戸以降のことで、それ以前は「求めて鬼の子を欲しがっていた時代があった」のではないかと述べている。その理由を「大鳥一兵衛」という江戸幕府初頭に刑せられた男の伝説化した身の上話に求めた。
一兵衛の母は子がないことを憂い、閻魔に申し子をした。甲斐あって懐妊し生まれた子は骨柄たくましく面の色赤く、歯が生えて髪はかぶろ頭、驚いたことにすぐに立ちあがって三歩歩いたという。これをみた人は口々に鬼の子だ、殺せというが、母が申し子であることを主張し育て上げた・・・
つまり鬼の子とは、世をかき乱す力を持った特別な存在、と考えることができるだろう。柳田は「大男も片輪のうちに算えるのは、いわゆる鎖国時代の平民の哀れな遠慮であろう…容貌魁偉なる者は多くは終を全うしなかった。それを案じてこのような者の生まれるを忌んだのはおそらくは新国家主義の犠牲であった。」という。鬼の背には、人ならざる力が背負われているのかもしれない。
三、おくないの鬼から、鬼の住む里へ
二〇一六年静岡県浜松市懐山の「おくない」という行事を見てきた。「おくない」とは仏堂内で行う年始の行事であり、この地域には同名の祭りが点在している。そしてやはりここにも鬼が登場する。
節分の豆まきを筆頭に、全国の修正会・追儺に鬼は欠かせないが、鬼と火を組み合わせた行事が多い。懐山おくないでも、そんな「火と鬼」の痕跡が見られる。まず「フットリ」という者が腰をかがめ拍子に合わせながら歩いてくる。片手には扇を持ち、後から来る赤、青、黒の三人の鬼役を先導する。呼び出された鬼は「おおー」と持っている鉞を頭上で左右にふり、下ろして道具を後ろ手にもつ。くるっとジャンプして方向を変えまた鉞を頭上に持ち上げ左右に振る。これを四方に繰り返す。
するとふいに、赤い厚紙で作った松明を持ったご老人がひょこひょこと鬼の前に駆け込んでくる。青、黒の鬼はそれをみて「おうおうっ」と興奮したような声をあげ、小走りに松明を追いかけ舞台を去る。残った赤鬼は鉞を振りながら遅れて舞台から消えてゆく。
突然の松明役のおどけた登場、鉞や杵の滑稽な振り方に思わずくすっとしてしまったが、以前はおそらく松明も本物の火を使い、男たちは先を争って火を追いまわしたのかもしれない。なぜなら、他地域の追儺や修正会では、何メートルもある松明が作られ、氏子や鬼役がそれを担いで堂のまわりをめぐったり、走ったりする行事があるので、そんな想像をめぐらせた。
松明といえばもうひとつ、同市川名の「ひよんどり」を紹介したい。
「火踊り」がなまって「ひよんどり」になったと言われるだけあって、ここの一番の見ものは松明と若者の「もみあい」である。ひよんどりも、おくないと同じように堂内で芸能が行われるのだが、その前に水垢離したふんどし姿の若者たちが堂の入り口に横並びになり、ぼうぼうと燃えさかる炎の前に立ちはだかって、松明が堂に入らないように防ぐのである。最後は他の追儺・修正会などと同じように堂内で松明をたたいて火を消す。
聞くだけで危なっかしい行事で、その実昔はからだに火傷をする者が後をたたなかったとか。今は怪我をさせないように、松明役が加減しているらしい。目の前では「あちーっ」「うおーっ」と若者たちが悲鳴混じりに声をたて、おじさんたちに「情けねえ声だすなーっ」と野次られている。火傷の痕の話や飛び交う野次をきき、昔はもっと激しく挑発的な祭りだったのだろうと思う。しかし私は昔日の興奮を、まだ思い浮かべることはできなかった。
さて二〇一七年の年始は同市寺野「ひよんどり」であった。ここでも鬼が登場し、やはり「火と鬼」とが組み合わさった「鬼の舞」が行われる。夜になってあたりが暗くなると、松明に火が入る。懐山とおなじように、まずフットリが登場し三匹の鬼を招くが、このとき鬼役一人につき「介添え役」がひとりくっついてくる。
いったいなんのために介添えがと思っていたら、鬼三人を堂中央に集め、介添え役がぐるぐると鬼をまわし出した。目が回りふらふらになった鬼は鉞を振りかざし松明の火を消そうとする。
なるほど、懐山でも鬼に旋回の動きがあったが、介添え役にはこうしたトランス誘発の役回りがあったのか。きっとこのあと、ふらふらになった男たちは「あちーあちーっ」「えいえいっ」とあっちこっちの大騒ぎ、桃太郎にこづかれる鬼のようにおかしな姿を見せるのだろう、と思っていた。
突然の雄たけびに、会場のざわめきが一瞬しんと静まる。眼前には、生き物を撃つかのように斧を振りおろす「鬼」がいた。介添えが取り押さえて動きをセーブさせているものの、鬼役は「やらせろおーっ」と制止を振り切り、我を忘れて鉞を振り回す。「ああ危ないっ」という瞬間が何度もあった。フットリも鬼を煽りつつ見物人たちに怪我がないよう気を張っていることが、表情からわかった。鉞が堂の床を打つ音が痛々しい。
介添え役がいる理由がはじめてわかった。あの鉞の振り方、この怒りの気迫、これこそが鬼ではないか。介添えがいなければこの鬼を誰が制止するだろう。いやそれよりも、私がこれまで見てきた滑稽な鬼たちは、本来こうした狂気の姿と隣りあわせだったのではないだろうか。祭りという非日常の場にだけあらわれる鬼の姿から、伝説が生まれてくることがあるのかもしれない。
しかし眼前の鬼役のどこから、この気迫が湧いてくるのだろう―――。
祭り終了後地元の方に「さっきの鬼はすごかったですね」と話しかけたら「あいつは酒のんで、できあがってっから」とカラカラ笑った。「いやそれにしても、すごい迫力でしたよ」と踏み込んでみたが「あはは、酒ずーっと朝から呑んでたから」とまた笑って違う話にうつってしまった。鬼の狂気なぞ話しても通じぬわいと、背中にあてた榊を払われてしまったようだった。
END
コメント
コメントを投稿