なんだか最近時間ができてきたので漫画について いろいろ書けそうなかんじになってきました!わくわく!
それではそれでは
今回紹介したいのは大島弓子「F式蘭丸」です!
フロイト式らんまる と読みます。
ストーリーはざっと下記のようなかんじです。
突然の母の再婚とクラスメイト達の早熟な恋の話題、そして更衣(きさらぎ)君からの公衆の面前での告白…。戸惑ったよき子は思わず口にする「私にだって恋人はいる!」。恋に臆病なよき子のお相手は「蘭丸」という不思議な少年だった。しかしクラスメイトも母も、誰も蘭丸の素性を知らない。よき子の不安の種である「恋」の問題に真摯に向き合い行動を共にする彼の正体はー…?
蘭丸はどこの誰なのか、そしてよき子の心境はどのように変化するのかがストーリーのテーマになります。
早速ネタバレで無粋なんですが、蘭丸は主人公よき子の空想のお友達、イマジナリーフレンドです。
イマジナリーフレンドっていってもいろんな漫画とかアニメで出てくるのでめずらしくないと思うんですけど、『F式蘭丸』は心理学的に真正面からイマジナリーフレンドを描いています。心理学勉強したことないのでどこまで正しいか正直わかんないんですけど、Wikipediaに載ってるイマジナリーフレンドの定義や発達過程読むと、ああF式蘭丸の世界だなあと思います。下記引用です。
★イマジナリーフレンドとは(以下Wikipedia引用)
通常児童期にみられる空想上の仲間をいう。イマジナリーフレンドは実際にいるような実在感をもって一緒に遊ばれ、子供の心を支える仲間として機能する。イマジナリーフレンドはほぼ打ち明けられず、やがて消失する。
空想の中で本人と会話したり、時には視界に擬似的に映し出して遊戯などを行ったりもする。
主に長子や一人っ子といった子供に見られる現象であり、5〜6歳あるいは10歳頃に出現し、児童期の間に消失する。子供の発達過程における正常な現象である。
想像力によって本人が自ら生み出したケースと、本人が自ら生み出したわけではないが何かをきっかけに出会ったケースがある。①多くの場合、本人の都合のいいように振る舞ったり、自問自答の具現化として、本人に何らかの助言を行うことがある。
イマジナリーフレンド、こんな現象が起きてるなんておもしろいですね~
2chとかで実際にイマジナリーフレンドいる人のエピソードがいっぱい
載っててつい読んじゃいます。
さて、主人公よき子のイマジナリーフレンド・蘭丸は、上記の通りよき子の相談相手であり、願望を叶えてくれる一番の協力者です。
例えば、恋におくてなことをバカにするクラスメイトたちに対して、現実で何も言い返せない分、空想の中で蘭丸にこてんぱんにしてもらったり、ひとりでは怖くて行けないところに一緒についてきてくれたりです。
また、よき子は肉体的な恋愛に嫌悪感を抱いていて、精神愛に異常にこだわります。蘭丸との関係も「世間通例の接吻やベッドシーンはいっさいに排除して、つねにお互いの精神を愛すること」と述べ、望み通りの協定を交わすのです。
そんな蘭丸を、よき子はこんなふうに思っています。
”うれしい時は
いっしょに喜び
かなしい時にはなぐさめあい
子どものように
いつもはなれず
親のように
見まもり
兄のようにみちびき
女友だちのように
おしゃべりをする
蘭丸 ”
イマジナリーフレンドを的確かつ優しく表現したすてきなモノローグですね…。
こんな人がたしかにそばにいたらなあって思います。
イマジナリーフレンドをこんなふうに例えられるって大島弓子ならではだと思います。
さてよき子は16歳。
イマジナリーフレンドの定義をみると、児童期の間に自然に消える、とあります。空想のお友達を持つにはちょっと成長しすぎです。
ですが、よき子ぐらいの年齢でも現れることがあるそうです。その場合は幼年期と扱いがちょっと変わります。どうなるか下記もWikipediaから引用しました。
青年期以降のイマジナリーフレンド
稀ではあるが、青年期以降もイマジナリーフレンドが持続したり、新たに出現したりするケースもある。・・・
イマジナリーフレンドは、本人はその架空性を意識しており、自己違和的でもなく、現実生活の障害になっているわけでもないため、病的と言えない部分がある。イマジナリーフレンドは本人にとって伴侶的ないしは適応的に働くことが多い。しかし、②この適応的なスタイルが何らかの理由で破綻したとき、イマジナリーフレンドは本人の意思に逆らって暴走し、自傷や他害の要因になることもある。そのような場合、病的とみなされる。
③イマジナリーフレンドは、ときに交代することによって本人の身体活動を行うことがある。本人とイマジナリーフレンドが位置を入れ替えるようにして、イマジナリーフレンドが前面に出て行動することがある。解離性同一性障害の人格交代に近いような現象であるが、イマジナリーフレンドの場合はあくまで主体は本人であり、本人の意思で交代する。④コントロールが不可能になり健忘が生じてしまうと解離性同一性障害の基準を満たしてしまう。
理想の日常を営むための蘭丸との関係は、深まれば深まるほど解離性同一障害や、自傷や他害といった危険とも隣り合わせなようです。
実際よき子は蘭丸との関係の変化から、死の危険にさらされます。
この危機をどう乗り越えるかはぜひ本編を読んでほしいです~。
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おまけ
なんだかイマジナリーフレンドの引用ばっかりになっちゃいましたけど
この作品は心理学の忠実さだけが売りじゃなくて、
演出もものすごくこだわってます。
セリフとかもいっぱいいっぱい紹介したいとこあるんですが
いちばん良いなあと思ったのが「雨」の描写です。
話のはじまりとともに雨が降りはじめて、空想の存在である蘭丸と現実のよき子の生活が混ざった日々がスタートし、ラストで降りやむ。この雨があるだけで、よき子と蘭丸の不思議な日々が本当に特別な時間に感じられて、さりげないけど効果的な舞台装置だな~と思ったりしました。
掲載月が6月だったから雨降らしただけかもしれないですけどね。
オープニングの
霧雨みたいなふんわりした雨
おまけ2
あとよき子が精神崩壊した図も
能の狂女ものみたいでよい~。
モノローグもすき↓
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