斉藤由貴とわたし
●斉藤由貴とわたし
わたしは「ゆめであいましょう」というバンドで
うたをうたっていますが、歌う際に参考にしている人がいます。
それが斉藤由貴さんです。
どちらかというと女優のイメージが強い彼女ですが
詩集を出したり、イラストを描いたり、実は活動欲旺盛なマルチな人。
そのマルチさを生かし、斉藤由貴が自分で作詞している歌もたくさんあり、なおかつ楽曲は谷山浩子や岡村孝子、原由子や武部聡など豪華な顔ぶれが手がけているのでサウンド的にも実験的になっているものがかなりあるのです。
そんな「歌う」斉藤由貴の魅力のなかから、今回は「作詞家」としての一面をみてみましょう!
●「Hello,Dolly!」
「Hello,Dolly!」はアメリカのミュージカルソング(ルイ・アームストロングとかフランク・シナトラとかも歌ってます!)に斉藤由貴が日本語の詩を付けたもの。この曲はアルバム「MOON」に収録されているのですが、このアルバムは楽曲の合間に斉藤のナレーションが入っていて、まるで小さな劇場に入った気分になれます。そんな演劇的要素の入ったアルバムのラストを飾るのが「Hello,Dolly!」なんですから、よく考えたなぁと。
しかも!「訳詩」じゃないですよ、日本語詩です。
原曲の歌詞とまったく内容が違っていて、斉藤の芸能観・人生観がうかがわれます。
原曲↓
斉藤由貴↓
演劇でも歌でも、根幹にあるのは何もないところで何かをみせることだと私は思います。それは懐かしい光景だったり、感じたことのないような人生の痛みや悲しみだったり。そして、憧れの輝きや、迷いをはらす魔法をまとっているものでもある。だからわたしが歌うときは、この歌詞に出てくるShow Timeの時間が叶うようこころがけています。
●「さよなら」
演劇にしろ小説にしろ絵画にしろ、表現というのは「虚構」と付かず離れずの関係です。しかし、表に現すと書いて「表現」。日常に埋もれたり通り過ぎたり、自発的に埋めちゃった「本当のこと」を文字通り「表」に「現す」ことだと思います。
そんなことを斉藤由貴の「さよなら」という曲から感じてみましょう。
この歌詞で注目したいのが次のフレーズ。
「さよなら」そんな言葉この世に
決してないと思う
「さよなら」今 言われてもきっと
ずっと 好きでいられる
なんでここに注目したのかといいますと、実際、「さよなら」は明治以降に生まれた言葉です。語源については、「左様ならば」という接続詞から来ていて、なぜ接続詞かというと「左様ならば、仕方がないですね」というように、本当は分かれがたいけど仕方ない、という気持ちを告げるときに「左様ならば」が頭にくるのでそれが頻繁に使われて、どんどん略されて「左様ならば」から「さようなら」・・・と独立した挨拶になったということだそう。
斉藤由貴はそういう語源の背景のことは別に関係なく詩にしているのだと思いますが、でも一昔前は本当に決して無い言葉だったのは事実です。
そんなこと大したことないでしょうと思われるでしょうが、じゃあどうして今まで日本人は「さようなら」を使わなかったのか。逆にいえばなぜ「さようなら」という言葉が日本の近代化以降広まったのか、ということになるんですから!「さようなら」を言える環境と言えない環境じゃ大違いです。「さようなら」って言われたらどんな境遇でもちゃっちゃかその場を離れられますけど、そんな言葉が存在しなかったら、なんやかんや理由述べて「左様ならば仕方ないですね」という雰囲気に仕立てなきゃいけないんですから大変です。それができる人間しか近代以前は存在しなかったんですから、「さようなら」という言葉が新しく生まれる(必要になる)というのはとても重要なことなんだと思います!なんか日本語の語源についての本とかご存知の方は教えてください!そして何が言いたいかというと、そういう、物事の本質をつける詩人はなかなかいないぞ、斉藤由貴すごいぞ!ってことです!笑
斉藤の芸能観と、物事の本質をみつめる姿勢はまさに本物の「表現者」だと言えるんじゃないでしょうか。
そんな斉藤由貴さんの楽曲でおすすめなのが
先にあげた演劇仕立ての「MOON」と
尾崎豊との不倫が破局した1年後に出したアルバム「LOVE」です。
YouTubeにはアルバムはあがってないのでぜひアマゾンでぽちって聴いてみて下さい。
あと
単独でおすすめな曲もあげて、筆をおかせて頂こうと思います!
「MAY」
「Yours」
END

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